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2017年認定 2018 ’Global Heroes of Hope’ の横顔 その1

明路英雄さん(RFLJ芦屋:サバイバー)

*** 受賞のコメント ***
この度の受賞を2007年、日本最初の24時間イベント立ち上げから11回連続で開催して来た「リレー・フォー・ライフ・ジャパン芦屋」の実行委員会、芦屋市関連支援団体、ボランティア・チーム全員の皆さんと分かち合い共に喜びたいと思います。
「がんと闘う力は 人とのつながり。」これからもリレーフォーライフに参加して共にがん征圧の道を進みたいと思います。

*** マイストーリー ***
私が初めてがんと診断されたのは 46年前のことです。甲状腺がんでした。その頃私は32才で、結婚して、子供も生まれ、家族を支える為にバリバリ働いていた矢先のことで、 これから先自分も家族もどうなってしまうのか、突然暗闇に突き落とされたような大きな不安に襲われました。

特に当時はがんだということを周りに言えるような環境もなく、もちろんリレーフォーライフのような取り組みもなかったので、親戚にも、会社にも打ち明けることが出来ず、私のがんとの闘いはそれはそれは孤独なものでした。
それでも私が乗り越えることが出来たのは守るべき家族の存在と、素晴らしい医師との出会いのお陰です。
切除手術を受けた後 15年間 ホルモン剤を服用して完治し 病気の事も忘れかけていたある日、私は 職場の検診に引っかかり 精密検査の結果 2度目のがん告知を受けました。51才の時でした。

全く別のがんが、肝臓に見つかったのです。もう自分はがんとは無縁だと思っていた私は、2度目のがん告知を受け、今度こそダメかもしれないと思いました。リレーフォーライフに出会ったのはそんな時でした。
肝臓がんのことをもっと知りたい、同じがん患者は他にいるのだろうか?と、インターネットで調べていた時の事です。全く同じ経験をした人のブログを見つけました。その方は肝臓がんも克服し、満面の笑顔で、あるイベントに参加している写真が掲載されていました。
リレーフォーライフ。がん患者が参加するイベントというのは当時は珍しかったので、まずその存在に驚きました。

そのブログを読み進めると、今、まさに治療中の患者さんも参加されていて、参加者の方々の笑顔がとても輝いていました。自分と同じがん患者なのに、なぜこの人たちはこんなに笑顔なんだろう?ここに行けば自分も笑顔になれるのだろうか?そんな気持ちで興味を持ち、気がつけばそのブログの持ち主にメールをしていました。

自分の住んでいる地域でも リレーフォーライフを開催しようと言う呼びかけに手を挙げて 実行委員会に加わり活動をしました。
初めて参加したリレーフォーライフは 私の予想をはるかに超える感動的な体験でした。
これまで自分ががんだということを誰にも言えずに来た私が、大勢の人達の前でがんサバイバーとして胸を張ってサバイバーズラップを歩き、周りで皆さんが暖かい拍手を送ってくれている。
隠す必要はないんだ、受け入れてもらえるんだという安心感と、これからの治療も必ず乗り越える事が出来るという希望をもらい、涙が止まりませんでした。

トラックの周りで拍手と声援を送ってくれている人達の中に、私の妻と子供の姿もありました。紫のTシャツを着て笑顔で誇らしげに歩く私の姿を見て、妻も涙が止まらなかったと言います。
その後 私は2002年 64才と 2014年 75才と 肝臓がんの手術を受けましたが、毎年実行委員として同じ会場に戻って来ました。
今はより多くのがんサバイバーに 私と同じように胸を張って生きていってもらうために、リレーフォーライフの実行委員として活動をしています。

また、受動喫煙が原因で肺がんなどになる人が 1 人でも減るよう、禁煙条例の制定のため、行政への働きかけを行ってきました。その取り組みが身を結び、我が町でも路上喫煙が全面的に禁止となり、今は全ての飲食店を禁煙若しくは分煙にしてもらえるよう働きかけを行っています。

がんの経験はとてもつらいものでしたが、あの経験があったからこそ、健康や命、家族や友人、私を取り巻く人達の大切さに気づく事が出来、リレーフォーライフにも出会う事が出来ました。
これからの人生、私はリレーフォーライフと共に笑顔で歩んでいきます。 リレーフォーライフは私の人生そのものです。