リレー・フォー・ライフ発祥の地アメリカで最近注目されるのは、サバイバーはもちろんのこととして、さらに家族を称える動き、そして若者とくに大学生が前面にでた地域での活躍です。
玉名市で9月23-24日に開かれた「リレー・フォー・ライフたまな2011」は、日本ではまだなかった、運営を学生中心で行った初めての催しでした。企画から地元の医院、店舗、旅館を寄付集めでまわったのも学生たちでした。規模は150人ぐらいと小さいのですが、来年への抱負もそちらこちらで聞かれ、意義深いスタートになった気がします。
中核は九州看護福祉大学の看護、福祉系の学科で勉強をする1年から4年までの学生約30人で、テント張り、資料の準備、講義や出演者への要請、司会、リレー・フォー・ライフの趣旨の徹底などを取り仕切ります。最初から、最後の片付けまで、愚痴を言わずに動き回る姿に拍手を送りたい気持ちでした。
「学生たちが社会に出る前に、このようなものを一緒にしてみたい」と、実行委員長の安部恭子さんは、2010年秋に決意を表明しました。それは、当時は同大学で看護教育にたずさわる(現在は北九州在住で、別の大学勤務)医療の専門家として、社会との接点を探りながら社会貢献の意味を教えたいという気持ちからでした。
ボランティアへの考え方や、患者さんとの交流の意味合いを話し合いながら、話を徐々につめました。しかし実行委員長の転勤などもあって、ややペースダウンした時期もありましたが、当日やってきた仲間も含め、50、60人にも膨れた学生は、笑いながらも黙々とリレー・フォー・ライフの姿と考えを確認しながら、動いていました。
今年の甲子園へ応援に駆けつけてグラウンドの野球部員を大いに勇気づけた、専修大学玉名高校吹奏楽部の演奏に始まりました。
サバイバーウォークは、今年春に熊本市内の中心部でにぎやかなリレー・フォー・ライフをやり終えた、くまもと実行委員会のメンバーたち熊本勢がオレンジのTシャツで並び、花を添えました。先輩として開催し、ときおりアドバイスを送る力強い味方です。
初めて経験するウォークに、学生たちは拍手をしながら続きます。ここまで来たという安ど感が笑顔に感じとることができます。
あまりの暑さで、温泉組合から借りた板作りのミニ舞台からテントに移した講演では、熊本大学大学院の佐々木裕教授が、ワクチン治療の考え方など最新の治療、研究をわかりやすく話しました。すると、学生たちからは鋭い質問があれこれと飛び交い、教室のようなやや緊張した雰囲気もあり、地元の参加者も熱心に聞いていました。
「地域への働きかけができませんでした。一緒にやり、参加をしてもらうことがこれから必要で、課題がたくさんわかりました」と、安部委員長は言います。
確かに、「がんの学校」といわれるリレー・フォー・ライフの基本を振り返ると、たとえば町内会、青年団、病院、企業などなど色々なジャンルから実行委員会に加わり、月日を重ねてじっくりとチームをつくることが必要です。その意味で課題はありますが、最初踏み出さなくては何も生まれません。実行委員会の健闘を称えたいと思います。
2日目は、患者さんの話がやはりテントでありました。これも、よい企画でした。大阪と熊本から参加の患者さん2人は、それぞれが、宣告、死、命という思いテーマのほか、生活、仕事、家族への影響や話の伝え方など率直な考え方を述べました。「初めて、患者さんの声を聞きました」と実行委員の一人は話し、真剣な表情でした。
同じ日に隣の県大分で行われた「リレー・フォー・ライフ大分2011」は5500人の大勢が参加したとのことです。
数字もさることながら、そこには、「家内に会える気がする」と駆け付けたご主人や、通学する大学が出したバスに乗り遅れ会場まで4時間歩いてきた学生などが夜遅く足をひきずるようにしてコースを歩いていた、など思い出に残る話がたくさんあったようです。
大分の様子はまた別にお届けしましょう。
玉名会場の受付付近に、こんなものがありました。
「大切なあの人とお揃いはいかがですか?」。紫のリストバンドが見える透明な袋にそれぞれ、麻人形が入っています。麻ひもでていねいにつくった人形には、そう書いてありました。
それもこれも、みんなリレー・フォー・ライフということです。